2013年6月14日金曜日

アフリカ調査旅行記その4

アフリカの社会が二層構造となっていることは、アパルトヘイトの歴史を語る必要も無く、明白である。白人と権力を持った黒人とで構成された社会と、それ以外の社会。ザンビア社会も例外ではない。この夜我々が向かったステーキレストランは、明らかに前者に属する場所であった。恰幅の良いスーツ姿の巨大な黒人男性が笑いながらワインを楽しんでいる。そんな様子に気を取られていると、大柄の白人男性が黒人のボーイに渡されたスーツを一瞥もせずにもぎ取り、私の肩にドカりとぶつかりながら満足気に出て行った。そのボーイと目が合って、私は軽く挨拶したが、返事は無く、逆に逃げるように目をそらされた。失礼な人もいるから、あまり気にしないように、そんな気持ちで向けた私の視線がこんな形で帰ってくる経験は久々のことで少々戸惑った。しかしこれこそが、外国人としてアフリカに居ると言う事なのかもしれなかった。私は心のどこかがどうしようもなくざわつくのを感じた。

その晩の食事は気持ちの良いスタートでは無かったが、提供される料理は量も質も大満足の内容であった。食事をしながら、Sebがどのような経緯でザンビアへ辿り着いたのか、という出で立ちの話から、アフリカで気をつける必要のある野生生物にどう対処すれば良いか、今回の調査がどのような目的か等を話した。この時食卓を囲んでいた7人は全て国籍の違う人たちであった。背景が違うと出てくる話題、それに対する反応、何から何まで違っていておもしろい。しかし、新しい情報が多いだけ、会話には多くのエネルギーを消費する。腹を満たすと同時に、私は長旅の疲れがどっと押し寄せて来るのを感じた。それもそのはず、ロンドンのヒースロー空港を出て以来、一日以上まともな睡眠はとっていなかった。食事を済ませ、ロッジに戻り、部屋に戻ると同時にシャワーも浴びずにベッドに飛び込んだ。こうして、慌ただしいザンビア調査旅行の一日目が終わった。



2日目は部屋の外で水浴びをする、ロッジの管理人の子供達であろう10歳前後の子供達の声で目が覚めた。私もシャワーを浴び、外へ出てみると外は太陽の燦々と照り輝く、気持ちの良い快晴であった。ロッジの向こう側ではAlex K.とSeverineが朝食の準備を始めている。コーヒーの香ばしい香りと焼きたてのパンの香りが鼻に届く。世の中には、「幸せとは何か」をテーマとした分厚い本が沢山出版されている。しかし、幸せとは思いのほか単純な、例えばこの日の朝に私が感じた、気持ちの良い天気に料理の良い香り、そういうところにあるのではないかと思わせるような、心地の良いの瞬間がそこにはあった。


Alex K.は、オーストリア出身のポスドク。父親も著名な魚の研究者であった生え抜きの研究者である。Alex K.はドクター時代にタンガニイカ湖のシクリッドの一種を材料にしており、今回の調査旅行は、彼のザンビアにおける豊富な経験とネットワークを頼りに計画が始まった。彼のパートナーSeverinはスイス人の博士課程学生。可愛らしいドイツ語訛りの英語を話す、おしとやかでとてもチャーミングな女性だ。彼らはAlex K.がドクター時代に企画した調査旅行において、研究者とその研究アシスタントとして出会ったという。今回の調査旅行も、研究はもちろんであるが、その機会を利用してのエキゾチックな休暇という側面も兼ねていた。こういうどこか「浮ついた」研究風景は、日本人としてはどこか憚られる気持ちになるものだが、ヨーロッパでは全くもって普通のことであって、フィールドシーズンの色恋沙汰に関するゴシップというのは誰もが必ず一つや二つは大爆笑確定級のネタを持つ、飲み会の席で最も盛り上がる話題の一つだ。

おいしい朝食の席を囲みながら、Alex K.とSeverine、そして同じロッジに宿泊しているスウェーデン人のドクターで今回の研究アシスタントJosefinaの間で何でも無い会話に花が咲いた。フィールドシーズンの成功というのは、その時のメンバー間の相性に大きく依存する。この日の朝の会話の弾み具合から、今回のチームはうまく行きそうな予感がした。最後に、その日の買い物に関する計画を改めて確認し、部屋に戻って支度をする。一行は呼んでいたタクシーに飛び乗り、二日目の買い物が始まった。

2013年6月9日日曜日

アフリカ調査旅行記その3

ルサカ市内中心部にあるショッピングモールへ到着した一行はまず携帯電話を購入しに、ザンビアの大手通信会社、Airtelの販売ブースに入った。思った通りプリペイドの携帯とそのSIMカードは広く流通しており、旅行者であるという事情を説明するまでもなく、二つ返事で望みの品を購入する事が出来た。SIMカードを携帯に挿し、Airtelの電波を受信している事を確認した後、電話を掛け合う。電話は問題無くかかり、携帯探しは早くも終了した。

続いては、エタノールとホルマリン。調査隊はエタノール組とホルマリン組の二手に分かれた。私は今のところ手がかり無しのホルマリンのグループへ。ザンビア渡航前に連絡を入れていた薬品店では、取り扱っていないということであったが、なにせ片言の*1英語を使っての電話越しの対応である。電話での対応の雰囲気からも、その場しのぎの答えをしたことも十分にありそうであることが感じ取られていた。なにより、そこを除いて他に手がかりは本当に何一つなかった。我々は、その薬品店の住所と地図をタクシーのドライバーに見せ、薬品店を目指した。

薬品店は、街のはずれ、カイロ通りに続く小道にあった。大きな鉄製の門は、一見したところ、大きな工場の入り口のようだ。門にはLusaka Chemist Ltd.と書いてある。ここで間違いない。タクシーのクラクションをならすと、門扉が開く。門番の男は2、3、タクシーの運転手に無愛想な態度で質問をし、頷いた後に車を中へ通した。ところで、ザンビアは旧宗主国が英国であり、同じく英国の植民地だったインドからの移民が多い。街の至る所にインドの地名にちなんだ通りの名前があるのには、そういう訳がある。

門の中へ入るとすぐに駐車場、そしてオフィスへの入り口が見えた。その向こうにはやはり大きな工場らしき物が見えた。おそらくそこで薬品を作っているのだろうか。オフィスへ入ると黒人男性が出迎えた。私は手短に事情を説明して、ホルマリンが無いか訪ねた。やはり電話で聞いたときと同じ対応で、無いの一点張りであった。ホルマリンが手に入りそうな場所はあるかと聞いてみると、わからないが、他の薬品店ならあるかもしれないということで彼の知っている薬品店の場所を教えてもらった。こんな風に書くと物事はとてもスムーズに行ったかのように思えるが、実際は全く違った。会話の合間に仲間同士の掛け合いや、電話の対応、パソコンのチェックなどありとあらゆる間の手が入った。茹だるような暑さと埃っぽい空気にそもそも頭の働かない中、答えを急がず、気長に質問を繰り返すのは本当に骨が折れた。もう日は暮れかかっていた。



二手に分かれた一行は再び合流した。エタノール組は、エタノールを扱う薬品店を見つけたが、正規料金で売るには紹介が居る。割高料金であれば売ってやるということで、割高料金も払えないではなかったが、ひとまず引き上げたということであった。いつだったか、政治における汚職の度合いの世界ランクを見たが、アフリカの国は軒並み下位に低迷していた。そういう事情はおそらく政治に限らず、ザンビアではごく普通のことなのだろうか。そうして一日目の買い物は終わった。一行は、ホルマリンはおろか、簡単に手に入ると踏んでいたエタノールも手に入れることができなかった。日の傾いたルサカの街は通勤であろうか、行き交う車が目立った。その光景は、子供の頃から心の中で描いてきたアフリカの像とはかけ離れた、身近な通勤ラッシュだった。背景には、ザンビアの埃っぽい空気で霞んだ夕陽が見えた。生まれて初めて見た、アフリカの夕陽であった。

ロッジに帰って来た一行は、明くる日の計画、そして調査地であるザンビア北端に位置する漁村、ムプルングへ向かう日程について話合った後、Alex H.の旧友、Sebお気に入りのステーキレストランへ向かうこととなった。腹ぺこの一行はSebの運転する車に乗り、レストランへ向かった。



*1
ザンビアは旧宗主国がイギリスなので、公用語は英語である。しかし、現地のアフリカ人は外国人を相手とする場合を除き、基本的に現地語を使う。公的には、英語はザンビア人にとって英語は母国語であるはずだが、実際のところは彼らの英語は片言に近い。