2016年2月3日水曜日

ウプサラ大学での博士論文発表会

みなさんお久しぶりです。いかがお過ごしだったでしょうか。私は前回のポスト以来、博士論文の執筆に向けて邁進しておりました。ブログの更新については本当に申し訳なかったのですが、これから私の日々の研究活動の広報としてもこのブログを有効活用していきたいと思っていますので宜しくお願いします。

さて、先日ウプサラ大学博士課程の卒業セレモニーに参加し、名実ともにウプサラでの学業生活に区切りがつきました。セレモニーそのものもそれはそれは素晴らしいものでしたが、今日はその前に昨年10月29日にあった私の博士課程の集大成を発表する場、論文発表会について報告しようと思います。

大学の理系学部で修士課程以降の学位を取得していない人にとって、博士論文発表会とはどのように聞こえるでしょうか?おそらく、ほとんどの人にとってそれは存在していることすら知られておらず、内容やその価値についてもコメントのしようもない、というところでは無いかと思われます。そこで今日のポストではまず博士論文発表会とは何かを簡単にまとめ、それから私の経験したウプサラ大学での発表会について、日本におけるそれと比較しながら報告します。

博士論文発表会:学者の卵の晴れ舞台(?)

博士論文発表会(あるいは公聴会)とは、博士課程の学生が学位(博士号)を授与されるために必要なステップの一つです。一般的に発表会が行われる前に学生が博士論文を提出し、これが発表会を実際に行って最終的な学位審査にかけられるに相応しいと認められた場合に行われます。すなわち、これは博士号最後を飾る、苦難と驚きに満ちた研究生活の積み重ねを公に見てもらう重要な舞台なのです。この発表会の直後に学位授与の可否が言い渡されるため、発表会を行うというのは本当に重大な出来事です。しかし、この発表会そのものの内容で研究者の全てが見出されるわけではありません。むしろ、研究者の務めは科学の発展に貢献することですから、執筆された論文の内容によって学位授与可否が事実上決まるというのが実情です。すなわち、多くの国では発表会を行うに相応しい論文であるかの審査を通ることがより困難であり、発表会そのものは通るのが通例です。最後の発表会が重要な舞台であることに変わりはありませんが、研究活動の本質に沿って考えてこのような実情は理にかなっていると私は思います。

日本:『形』としての発表会

日本の博士論文取得に至る過程では学部ないし研究科それぞれが『通例』として定めている基準にクリアすることが重要な要素となります。この基準とは、例えば『英語学術雑誌に論文を最低2本載せる』というようなものが一般的で、ここにimpact factor(学術雑誌のレベルを示す一つの指標)や国際学会での発表などがこの基準のクリアに関わっている場合もあるようです。これらの基準をクリアした学生が博士論文を執筆し、発表会を行って学位を授与される、という流れです。

この流れの中で、日本に置いて論文発表会の位置付けは低く、ほとんど『形』という認識が一般的です。発表会にかける大学や研究室の労力は小さく、発表会に参加して演者に対する質問を準備する論敵は学内、多くの場合学部内くらいの狭い範囲から選出されます。そのため、論敵自身も発表内容を良く理解できないということがしばしばあり、発表会は実際のところあまり盛り上がりません。発表会に家族が来るというようなこともあまり聞きませんし、狭い世界で起きている集まりですから博士号というものが発表会を経て与えられるということも一般的には認識されていないかと思います。前述の通り、研究者はプレゼンターであるよりもまずはリサーチャーであるべきですから、このような位置付けはある意味で前述した研究世界の実情を忠実に表現していると言えるかも知れません。

スウェーデン:『儀式』としての発表会

スウェーデンでも学位授与に向かうプロセスは日本と同じです。また、発表会へ進む許可を得るための審査がより厳しく、発表会自体はほぼ通例として通るという点も同じです。しかしながら、発表会のあり方は極めて対照的です。

まず、発表会の論敵は基本的に国外の専門家から選ばれます。人選は発表者と指導教官が相談しながら行い、個人的に打診を行います。論敵の渡航費・滞在中経費は大学が出し、渡航距離等に制約は基本的にありません。論文を適切に批判できるかどうかというのが最大の焦点というわけです。そして、発表会に至るまでの間に『nailing』と呼ばれる興味深い儀式が行われます。


写真1:壁に論文を打ち付ける私。周りにもこれまでに
nailingされた論文がたくさんあります。
『nailing』が行われるのは、博士論文が印刷されてから発表会が行われるまでの間です。出来立てホヤホヤの論文冊子を持って、忙しくしている同僚たちのオフィスを回って人を集めます。そして廊下を進んだ先に存在する、とある黒板の前で何を一体するのかというと、なんと論文冊子を壁に釘で打ち付けるのです(写真1)。打ち終わるとまた廊下を辿ってぞろぞろと帰り、準備していたシャンパンを皆で開けてお菓子やおつまみを食べる、という儀式です。ちなみに写真で紹介しているnailingは実は簡易版で、歴史的にnailingが行われてきたのは大学の講堂内の一角です。講堂でのnailingではウプサラ大で何百年もこのためだけに使われてきたという喩所正しき伝説のハンマーを渡され、それで叩いてnailingをするというすごい仕様です笑。

さて、この儀式を終えていよいよ発表会当日です。ウプサラ大学での博士論文発表会は大学のウェブサイトで内容と日時が公開されており、大学内外全ての人に開かれています。ある日時にある分野の発表が重なって訊きに来れないということが無いようとの配慮から、発表会は分野あたり1日2講演(朝1回、昼過ぎ1回)までと決まっています。発表の流れは、発表者が15分程度の短い公演を行い、次に論敵が発表される博士論文のより大きな文脈における位置付けや、発表者の研究における新規性について短い発表を行います。その後、長い時には3時間にも及ぶ質疑応答の時間がやってきます。質問は多岐に渡り、発表者が研究者へ進むことに決めたきっかけから論文で記述されている方法について重箱の隅を突くものまでありとあらゆる質疑応答が繰り広げられます。前述の通り、ここでの質疑応答の内容だけで学位が授与されなかったということは極めて稀です。しかし、ここでどれだけ巧みに質疑応答できたかというのはその場にいる全ての人に明らかとなるのです。この内容は書面には決して現れませんが、論敵が海外から招待されていますから海を越えて噂となっていくのです。論敵の質疑応答が終わると国内の審査員(男女混合の3人構成)が質問を与える機会があり、最後に聴衆からの質問が受け付けられて、ようやく発表会は終了します。その後まもなく国内の審査員、学部長と論敵の間で審議がなされます。その間に発表者は同僚の準備していたスナックとシャンパンを聴衆とともに楽しみ、その集団の中で結果発表、そして乾杯という流れで学位授与となります。面白いことに、私の発表会には大学と関係無い、ただ興味を持って聞きに来てくれていた男性がおり、シャンパンを片手におめでとう、楽しかったよと言われました。見応えのある一連の発表会は審査というだけでなく、ウプサラのインテリが楽しむショーとしての一面もあるのです。

こうして長い発表会の1日が終わります(さらにここからパーティがあるのですが、それについてはまたいずれ機会があれば)。

まとめ

本項最初に書いたよう、スウェーデンにおいても日本と同様に発表内容で学位授与の可否が決定されることは稀です。しかし、論敵を国外から選定すること、nailing、発表会が一般公開されていることや日時と分野への配慮など、重要な点はしっかりと押さえた上で様々な遊びのある、実に見事な儀式として機能している点が日本と対照的といえるでしょう。歴史の古いウプサラ大学でこそ為せる、深く濃厚な味わいがあるのです。nailingや伝説のハンマー、日時への配慮などが一体どれほど機能的な意味を持っているでしょうか?実際ほとんど無いでしょう。しかし、こういう細かいしきたりの一つ一つが、Philosophy of Doctorという学位に付随すべきnobility、威厳、そして名誉を若いPh.D.に感じさせるのです。このような伝統を守り、伝えてきた先人たちの努力の積み重ねが今日の科学を作っているのですから。

今日のポストではスウェーデン・ウプサラ大学での博士論文発表会の『儀式性』に焦点を当ててリポートしました。この伝統は長い歴史が故のものなので、日本がこういう風習にならうと言っても難しいと思います。しかし、ウプサラ大学も5−6世紀前は出来て間もない大学だったわけですから、日本のシステムも今始めて6世紀後にまで続く何かを探して実践してみるのが良いのかもしれません。