10時間のフライトを終え、飛行機はザンビアの首都ルサカに到着した。現地時間午前7時。天気は晴れ。8月下旬のザンビアはちょうど乾期の終わり。ルサカの空気はほこりっぽかった。入国審査は滞り無く数分で終わった。手続きは驚く程近代化していて、調査チームは全員指紋を採られた。ザンビアに数回、今回のような研究調査で来た経験のあるAlex Kotrschalによると、2007年に来たときは、指紋採取はおろか、入国審査場と手荷物受け渡し場を仕切る壁すら無く、そこには木製の机が数個あり、入国審査をしていたという。ザンビアは急速に成長しているのだ。
手荷物を受け取り、到着ゲートへ。そこには、今回の調査チームの一人Alex Haywardの旧友Sebと、俺の研究室のポスドクで今回の旅行の大部分を手配したAlex K.の知人、Simonの二人が待っていた。Sebは数十年前にイギリスから荷物一つでザンビアに渡り、ゼロから農場を始めて現地での生活を築き、今はザンビアに帰化しているという変わり物である。出で立ちも、少なく見積もっても5つは穴があいているTシャツに鼻緒が千切れかけたサンダル。皺の間まで日焼けした褐色の肌に髪の毛はイカツいドレッドヘアーと、紛う事なきヒッピースタイルであった。Simonは小柄の黒人で、これから俺らが滞在する事になる宿泊施設で雇われているドライバー。二人の出迎え人と挨拶を交わし、一行は車へ向かった。
カメラのシャッターを切りながらそんなことを考える中、一行は市街地を目指したが、その足取りは遅々としたものであった。ドライバーのSimonは非常に注意深い人物であった。交差点に差し掛かるたび、向こう数百メートルから車が来ていない事を数回確認してから、ようやく曲がった。何度か確認している間に車が近づき(それでも俺の感覚からすれば余裕で行けるタイミング)、左折を諦めることもしばしばあった。そんな訳で、車は左折の交差点のある度、数分の足止めを食らっていた。ある時、Simonの過度な安全確認にしびれを切らしたAlex K.が、次に来る車まで距離が出来た時に「ヘイSimon、今なら行けるぜ!」と言った。Alex K.のオーストリア訛の英語を上手く聞き取れなかったSimonは、「え、なんだって?」と聞き返した。一行はさらに数分、その交差点で時間を食うはめになった。一行はだまった。
宿泊施設に到着し、荷物の中身を確認してから、飛行機での睡眠不足で眠気が襲っていた調査隊は昼まで仮眠を取る事になった。しかし、あまり眠くなかった俺は宿泊施設のマネージャーである中年のドイツ人夫婦と受付の部屋で会話をした。この宿泊施設はGossner Missionと言い、Missionの名前から推測されるよう、キリスト教使節団の宿として建設された施設であった。現在は宣教師より、現地でボランティア活動に従事する人や、俺らのような研究者の滞在場所として使われているらしい。彼らも宣教目的なのかと訪ねると、最初はそうだったが今では違う。アフリカに必要なのは神ではなく食べ物、20年間アフリカに居てそれがわかった。そう答えた彼らの目には深い悲しみと太い強さが共存したような、不思議な色の光が宿っていた。アフリカの雄大で力強い自然、その美しさに心から感動したというストーリーには心が躍った。ザンビアが雨期に入り、その年初めての雨が降った時、地面から猛スピードで草が生え、数時間のうちに荒れ地だった一面が緑に覆われるという。その光景を初めて見たときの感動はずっと忘れられない。あなたもいつか、その瞬間を見れると良いわね。そういう話を聞きながら俺は、サバンナにゆっくり沈む赤い夕陽を見ながら、ただ心を真っ白にするような、そんな静寂の一時が人生の片隅にあったら、さぞ豊かな心になれるやろうな、と思った。宣教師としてアフリカに来たということは敬虔なクリスチャンやったに違いない。その彼らが信仰の限界を感じてなお前向きに、力強く歩いて行けるのはアフリカの雄大な自然に触れたからなのかもしれない。
