ルサカ市内中心部にあるショッピングモールへ到着した一行はまず携帯電話を購入しに、ザンビアの大手通信会社、Airtelの販売ブースに入った。思った通りプリペイドの携帯とそのSIMカードは広く流通しており、旅行者であるという事情を説明するまでもなく、二つ返事で望みの品を購入する事が出来た。SIMカードを携帯に挿し、Airtelの電波を受信している事を確認した後、電話を掛け合う。電話は問題無くかかり、携帯探しは早くも終了した。
続いては、エタノールとホルマリン。調査隊はエタノール組とホルマリン組の二手に分かれた。私は今のところ手がかり無しのホルマリンのグループへ。ザンビア渡航前に連絡を入れていた薬品店では、取り扱っていないということであったが、なにせ片言の*1英語を使っての電話越しの対応である。電話での対応の雰囲気からも、その場しのぎの答えをしたことも十分にありそうであることが感じ取られていた。なにより、そこを除いて他に手がかりは本当に何一つなかった。我々は、その薬品店の住所と地図をタクシーのドライバーに見せ、薬品店を目指した。
薬品店は、街のはずれ、カイロ通りに続く小道にあった。大きな鉄製の門は、一見したところ、大きな工場の入り口のようだ。門にはLusaka Chemist Ltd.と書いてある。ここで間違いない。タクシーのクラクションをならすと、門扉が開く。門番の男は2、3、タクシーの運転手に無愛想な態度で質問をし、頷いた後に車を中へ通した。ところで、ザンビアは旧宗主国が英国であり、同じく英国の植民地だったインドからの移民が多い。街の至る所にインドの地名にちなんだ通りの名前があるのには、そういう訳がある。
門の中へ入るとすぐに駐車場、そしてオフィスへの入り口が見えた。その向こうにはやはり大きな工場らしき物が見えた。おそらくそこで薬品を作っているのだろうか。オフィスへ入ると黒人男性が出迎えた。私は手短に事情を説明して、ホルマリンが無いか訪ねた。やはり電話で聞いたときと同じ対応で、無いの一点張りであった。ホルマリンが手に入りそうな場所はあるかと聞いてみると、わからないが、他の薬品店ならあるかもしれないということで彼の知っている薬品店の場所を教えてもらった。こんな風に書くと物事はとてもスムーズに行ったかのように思えるが、実際は全く違った。会話の合間に仲間同士の掛け合いや、電話の対応、パソコンのチェックなどありとあらゆる間の手が入った。茹だるような暑さと埃っぽい空気にそもそも頭の働かない中、答えを急がず、気長に質問を繰り返すのは本当に骨が折れた。もう日は暮れかかっていた。
二手に分かれた一行は再び合流した。エタノール組は、エタノールを扱う薬品店を見つけたが、正規料金で売るには紹介が居る。割高料金であれば売ってやるということで、割高料金も払えないではなかったが、ひとまず引き上げたということであった。いつだったか、政治における汚職の度合いの世界ランクを見たが、アフリカの国は軒並み下位に低迷していた。そういう事情はおそらく政治に限らず、ザンビアではごく普通のことなのだろうか。そうして一日目の買い物は終わった。一行は、ホルマリンはおろか、簡単に手に入ると踏んでいたエタノールも手に入れることができなかった。日の傾いたルサカの街は通勤であろうか、行き交う車が目立った。その光景は、子供の頃から心の中で描いてきたアフリカの像とはかけ離れた、身近な通勤ラッシュだった。背景には、ザンビアの埃っぽい空気で霞んだ夕陽が見えた。生まれて初めて見た、アフリカの夕陽であった。
ロッジに帰って来た一行は、明くる日の計画、そして調査地であるザンビア北端に位置する漁村、ムプルングへ向かう日程について話合った後、Alex H.の旧友、Sebお気に入りのステーキレストランへ向かうこととなった。腹ぺこの一行はSebの運転する車に乗り、レストランへ向かった。
*1
ザンビアは旧宗主国がイギリスなので、公用語は英語である。しかし、現地のアフリカ人は外国人を相手とする場合を除き、基本的に現地語を使う。公的には、英語はザンビア人にとって英語は母国語であるはずだが、実際のところは彼らの英語は片言に近い。
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