前回のポストでは、日本とスウェーデンの博士課程という制度の中で、特に研究者の置かれる経済状況と社会的立場が違うことにについてクローズアップしました。スウェーデンでは経済的基盤が整ったことが博士課程入学に必要な条件の一つであり、その結果博士課程研究者は給与所得者=納税者なので各種社会保証の恩恵も受けられるということを紹介しました。これらの違いは博士課程のあり方に重要な影響を及ぼすファクターですが、教育内容と言うより制度の違いでした。それでは、肝心の教育内容について今 回は紹介したいと思います。
講義
日本の博士課程とスウェーデンの博士課程の一番の違いは、スウェーデンでは講義を受けて単位を取得する必要があるが、日本では一般的に博士課程の学生を対象とした講義は無いという点でしょう。僕がウプサラ大学で受けた講義には
等があります。どれも週に2回〜3回、各2時間程度の講義が一ヶ月程続く日本の大学では集中講義と呼ばれる形式の講義です。このうちAcademic teacher training courseとResearch ethics in science and technologyはウプサラ大学で博士課程を取るために必須の単位となっています。
また、Multivariate methods for ecologistsはウプサラ大学ではなくスウェーデン農業科学大学(SLU)が主催の講義でした。大学の垣根を越えて講義に参加する事は極めて一般的で、人気の講義には遠路はるばる受講にやって来る学生が居ることも稀ではありません。これを可能にしているのが欧州では一般的な大学間単位互換制度です。この制度によって、講義の主催大学と関わらず取得単位が卒業単位として認められるのです。
一方で、日本の博士課程には講義がありません。制度上は卒業に単位取得が必要となっているので、週に1度くらいある研究室の検討会(所謂ゼミ)に参加することで単位を取るという形になっているのが一般的です。つまり、特定の分野に関して専門家が教鞭を取って教える、という形の教育インプットは一般的にはありません。その代わり、自分の研究に必要な知識を自分で修得できるための自由な時間は与えられています。
まとめると、日本の博士課程は学生が修士までの教育課程で十分な基礎知識を身につけている事を前提に、自主性に重きを置いた教育システムである一方、スウェーデンの博士課程は学生が予め持っている知識を前提とせず、研究に必要な知識と技術を修得することも含めて教育するシステムである、と言う事ができるでしょう。
学位審査
次に、日本の博士課程と大きく異なっているのは学位審査のプロセスです。
日本の大学では学部内の教員からなる審査委員会が論文の審査を行い、それに続いて博士論文発表会が行われます。発表会は一般公開されていて、その様子は審査委員会で無くても見る事ができます。発表後、短い質疑応答があります。審査委員会からの質疑応答に続いて一般聴衆からの質疑応答を受付け、その後委員会で合否を決定する、というプロセスです。
スウェーデンでは学外(一般的に国外)の関連分野専門家からopponent(論敵)を指名します。審査委員会はopponent、学内から2人、学外(スウェーデン国内)から2人の 関連分野教員から生る5人編成です。博士論文はこれら5人の審査員が内容を吟味し、その後博士論文発表会があります。博士論文発表会は論文著者が15分程度の短い発表を行い、それに続きopponentが関連分野における論文の意義や新規性について紹介します。その後、長い時は3時間にもなるopponentと論文著者の質疑応答があります。Opponentが質疑応答を終えたあと、残り4人の審査員が質問する機会が与えられますが一般的にこれは極めて短時間で終わります。最後に聴衆からの質問が受け付けられ、審査員達で論文の質・質疑応答の質にもとづき学位授与の合否が決定されます。 この一連の行程はPhD defenseと呼ばれ、重厚な質疑応答は4年にわたる奮闘の日々を終えるに相応しい格式高い儀式です。その後、opponentを含む学部の教員、同僚を招いてパーティーがあります。
この学位審査のあり方の違いに関しては僕はスウェーデン方式がシステムとして圧倒的に優れていると思います。特に、学外・国外から専門家を呼んで審査委員会を結成するというのは博士論文を審査するにあたってこれ以上無い 方法の一つでしょう。ここで始まるコミュニケーションは大学間協力・国際協力の一歩にもなるのです。科学において長い歴史と伝統を持つスウェーデンならではのシステムであり、日本の博士課程審査もこういう方向へ行けば良いなと思います。ただし、スウェーデンの格式高い学位審査も合否に関しては「形式」である意味合いが強く、学位審査まで進んで学位が授与されなかったケースはほとんど無いと言います。しかし、関連分野の一流研究者達を招いて行うこの審査、特に質疑応答の質は噂となって世界中に響き渡り、発表者の評判を決定付けます。大学・国の垣根を超えて論文発表会を公表することによって、発表者がその本質を偽ることが出来ない仕組みとなっているのです。全く、実に巧みなシステムです。
まとめ
今回は日本とスウェーデンの博士課程の教育内容、特に講義と学位審査の違いについてリポートしました。学位審査は、科学研究の歴史の古いスウェーデンならではの格式と知恵を感じます。日本の高等教育は歴史が浅く、まだシステムとして荒削りなところが沢山あります。少子高齢化の進む中、日本の大学が生き残るには外国、特に近隣のアジア諸国から学生をリクルートすることが必須ですが、より優れたシステムと研究環境を持つ欧米の大学が相手では、地理的・文化的な親近性を加味しても日本の大学が一流の人材に選ばれる可能性は低いでしょう。国際大学ランキングといったうわべだけの評価を多少上下する小手先だけの調整 でなく、根本的に高等教育のあり方を見直すことが緊急の課題と思います。
日本の博士課程とスウェーデンの博士課程の一番の違いは、スウェーデンでは講義を受けて単位を取得する必要があるが、日本では一般的に博士課程の学生を対象とした講義は無いという点でしょう。僕がウプサラ大学で受けた講義には
- Modern statistics for biological sciences (生物学者のための近代統計学)
- Multivariate methods for ecologists(生態学者のための多変量解析)
- Academic teacher training course (大学の教育トレーニングコース)
- Research ethics in science and technology(科学技術倫理)
- Scientific writing and publishing(科学論文の執筆と出版)
等があります。どれも週に2回〜3回、各2時間程度の講義が一ヶ月程続く日本の大学では集中講義と呼ばれる形式の講義です。このうちAcademic teacher training courseとResearch ethics in science and technologyはウプサラ大学で博士課程を取るために必須の単位となっています。
また、Multivariate methods for ecologistsはウプサラ大学ではなくスウェーデン農業科学大学(SLU)が主催の講義でした。大学の垣根を越えて講義に参加する事は極めて一般的で、人気の講義には遠路はるばる受講にやって来る学生が居ることも稀ではありません。これを可能にしているのが欧州では一般的な大学間単位互換制度です。この制度によって、講義の主催大学と関わらず取得単位が卒業単位として認められるのです。
一方で、日本の博士課程には講義がありません。制度上は卒業に単位取得が必要となっているので、週に1度くらいある研究室の検討会(所謂ゼミ)に参加することで単位を取るという形になっているのが一般的です。つまり、特定の分野に関して専門家が教鞭を取って教える、という形の教育インプットは一般的にはありません。その代わり、自分の研究に必要な知識を自分で修得できるための自由な時間は与えられています。
まとめると、日本の博士課程は学生が修士までの教育課程で十分な基礎知識を身につけている事を前提に、自主性に重きを置いた教育システムである一方、スウェーデンの博士課程は学生が予め持っている知識を前提とせず、研究に必要な知識と技術を修得することも含めて教育するシステムである、と言う事ができるでしょう。
学位審査
次に、日本の博士課程と大きく異なっているのは学位審査のプロセスです。
日本の大学では学部内の教員からなる審査委員会が論文の審査を行い、それに続いて博士論文発表会が行われます。発表会は一般公開されていて、その様子は審査委員会で無くても見る事ができます。発表後、短い質疑応答があります。審査委員会からの質疑応答に続いて一般聴衆からの質疑応答を受付け、その後委員会で合否を決定する、というプロセスです。
スウェーデンでは学外(一般的に国外)の関連分野専門家からopponent(論敵)を指名します。審査委員会はopponent、学内から2人、学外(スウェーデン国内)から2人の 関連分野教員から生る5人編成です。博士論文はこれら5人の審査員が内容を吟味し、その後博士論文発表会があります。博士論文発表会は論文著者が15分程度の短い発表を行い、それに続きopponentが関連分野における論文の意義や新規性について紹介します。その後、長い時は3時間にもなるopponentと論文著者の質疑応答があります。Opponentが質疑応答を終えたあと、残り4人の審査員が質問する機会が与えられますが一般的にこれは極めて短時間で終わります。最後に聴衆からの質問が受け付けられ、審査員達で論文の質・質疑応答の質にもとづき学位授与の合否が決定されます。 この一連の行程はPhD defenseと呼ばれ、重厚な質疑応答は4年にわたる奮闘の日々を終えるに相応しい格式高い儀式です。その後、opponentを含む学部の教員、同僚を招いてパーティーがあります。
この学位審査のあり方の違いに関しては僕はスウェーデン方式がシステムとして圧倒的に優れていると思います。特に、学外・国外から専門家を呼んで審査委員会を結成するというのは博士論文を審査するにあたってこれ以上無い 方法の一つでしょう。ここで始まるコミュニケーションは大学間協力・国際協力の一歩にもなるのです。科学において長い歴史と伝統を持つスウェーデンならではのシステムであり、日本の博士課程審査もこういう方向へ行けば良いなと思います。ただし、スウェーデンの格式高い学位審査も合否に関しては「形式」である意味合いが強く、学位審査まで進んで学位が授与されなかったケースはほとんど無いと言います。しかし、関連分野の一流研究者達を招いて行うこの審査、特に質疑応答の質は噂となって世界中に響き渡り、発表者の評判を決定付けます。大学・国の垣根を超えて論文発表会を公表することによって、発表者がその本質を偽ることが出来ない仕組みとなっているのです。全く、実に巧みなシステムです。
まとめ
今回は日本とスウェーデンの博士課程の教育内容、特に講義と学位審査の違いについてリポートしました。学位審査は、科学研究の歴史の古いスウェーデンならではの格式と知恵を感じます。日本の高等教育は歴史が浅く、まだシステムとして荒削りなところが沢山あります。少子高齢化の進む中、日本の大学が生き残るには外国、特に近隣のアジア諸国から学生をリクルートすることが必須ですが、より優れたシステムと研究環境を持つ欧米の大学が相手では、地理的・文化的な親近性を加味しても日本の大学が一流の人材に選ばれる可能性は低いでしょう。国際大学ランキングといったうわべだけの評価を多少上下する小手先だけの調整 でなく、根本的に高等教育のあり方を見直すことが緊急の課題と思います。
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