2014年4月15日火曜日

STAP細胞記者会見を見て〜雑感〜

みなさまご無沙汰しております。

スウェーデン留学中の坪井です。あまりにご無沙汰すぎていつしか連載企画であるはずのアフリカ調査旅行がもうほぼ丸2年前のこととなってしまっています。それでも続きはすこしづつ書いているのでいずれ完結させます(宣言)。

さて、今日は日本の世間を騒がせているというSTAP細胞の問題について、4月9日にあった小保方晴子さんの2時間半にわたる記者会見を飛ばし飛ばしですが見たのでその雑感を。責任の所在、今後の動向等に関して色々騒がれているようですが、理系大学院の教育環境を知った上でスウェーデンで高等教育を受けている私としては、お茶の間のゴシップとしてではなく、高等教育のあり方そのものが問われている重大な問題として考えさせられるやりとりがいくつもありました。そんな中で思ったことを今回のポストでは書きたいと思います。

まず、この記者会見は苛立たしかったの一言。原発事故の時の東京電力の記者会見でも感じましたが、これぞまさしく『暖簾に腕押し』。応答することの難しい質問もたくさんありましたが、記者会見全体を通して、本質的な質疑が応答された瞬間は全く一瞬も無かったと思います。言いたいことを言って、あとは謝罪するのみ。記者会見のシナリオを書いている人物(達)の思惑が東電の時と同じか、あるいは日本語という言語の質疑応答機能に重大な制約があるか、そういうことでしか説明できないように思いました。こういうところに行くことが義務の報道陣も大変ですね。質問には応答しないくせに、『君、失礼だね。所属と名前を言い賜へ。』などと言われた拍子には僕なら血管がはち切れてしまうと思います。

それはそうと、本題です。今回の騒動は日本の高等教育(*)に蔓延る極めて重要な問題を浮き彫りにしていると思います。小保方さんは記者会見中何度も『研究の進め方も自己流で…』と繰り返しました。特別彼女を弁護するつもりはありませんが、この発言は端的に、彼女が博士課程の研究を行った研究室(早稲田大学でしたか)に、学生に科学研究のイロハを指導する体制は無かったということを示しています。そして僕の経験では、これは、早稲田大学に限らず日本全国津々浦々あらゆるレベルの高等教育機関で分け隔てなく存在する状況であろうと僕は推察しています。つまり、日本の高等教育機関は、教育という名は冠しているにも関わらず教育は(ほとんど)しておらず、学生を放し飼いするか、あるいは奴隷的にこき使っているということなのです。現場を知らない人はびっくりするかもしれませんが、これが恐るべき事実なのです。

*高等教育の広義の定義は大学入学以降の全ての教育ですが、僕はこの記事では高等教育をサイエンスと直接関わりのある狭義の高等教育、修士課程(マスター)と博士課程(ドクター)と定義しています。

これは日本の大学成立の歴史、少子化による大学の経済収支の悪化のしわ寄せ等色々な難問が寄せ集まって起きている社会現象であり、大学で教えている教授の先生方が義務を果たさず甘い汁を吸っている悪代官であるということは本当に、全く、決して無いことをお忘れなきようよろしくお願いします(いや、まぁおそらく探せばそういう人も居ますがそんな人どこにだって少しは居ます)。大学職員、特に教授職というのは聞こえは良いけれど実際は恐るべき量の事務仕事に忙殺されて科学研究など遥か彼方に忘れ去るか、学生を奴隷としてこき使うか、あるいは超人的キャパシティによってそのトレードオフを乗り越えるかいずれかしかないという板挟みにあるのです。この忙殺か・搾取かあるいは石仮面で人間を超えて…の究極の選択で、多くの野心的かつ才能にあふれた研究者は搾取を選ぶのです。ピペド(ピペット奴隷)などけしからんという研究部外者の気持ちは痛いほどわかりますが、止むに止まれぬ現実という面も知っておいて頂きたいと思います

数年前、高学歴ワーキングプア(水月昭道)というタイトルの本があったことをみなさんは覚えていますか。これは、教育課程上最高の学位である博士号を取った、長い教育を受けて優秀であるはずの人材が就職できず、できたとしても金銭的に恵まれない人生を送るということを書いた本で、僕が修士1年くらいの時だったでしょうか、当時大学ではよく耳にする言葉でした。その当時は、経済的なプアという意味でなんとか止まっていた日本の高等教育に蔓延る病巣は数年を経て、サイエンスの本質に染み入ってその根本的な正当性・信頼性を犯しつつある段階に来ている。今回の事件はその恐ろしい現状を端的に示していると私は思っています。

これからサイエンスの道に進むことを(一応)目指している私は、このことを真摯に受け止めております。日本のサイエンスそのものが廃れ行くかもしれない過渡期に私はサイエンスを始めようとしているからです。あるいはもう手遅れかもしれませんが、この現状を変えるためには、私は高等教育のありかたそのものを根本的に改革するしかないと思っています。スウェーデンの高等教育システムを参考に思いつく具体的なアイデアは以下の通りです。

  • 高等教育機関は、教育機関からの給与、あるいは自ら勝ち取った競争的な給与型奨学金・財団資金のどちらかで3年程度生活できる保証が無ければば博士課程学生を採用してはいけない
  • 博士課程の学生に研究者として最低限必要なノウハウの教育をつけることを義務化する。研究者として最低限必要なノウハウとは、『科学倫理』『哲学』『著作権』『統計学』『英語科学論文の書き方』『科学論文査読法』『プレゼンテーション法』等である。
  • 博士課程は『学生』ではなく『雇用者』として扱う。『雇用者』に適応される権限を博士課程の学生は持つ代わり、雇用は進行状況により年度ごとに更新で、進行のあまりに芳しくない場合、高等教育機関は期限前に博士課程学生を解雇できる。

他にも色々ありますが、基本的にはこの3つでしょうか。これらが実現すれば、博士課程を取ったということは高等教育機関に於いて施されるカリキュラムを通過したという証明になります。そうすれば、STAP細胞のような出来事があった時に、当事者本人が責任を追求されるか、高等教育機関に責任があるか、すぐにわかります。もし教育機関が必要な教育を施していたにも関わらずある研究者が研究の倫理に反する行いをしたのであれば、それは当事者の責任です。もし、当事者に科学者として必要な教育が施されるべきところであるはずが、十分な教育がなされていない場合は、関連教育機関が義務の不履行として責任を追及されることになります。どちらの場合でも、本人あるいは教育機関はあらたな事件を起こす可能性を減らす何らかの対策を取る、ということになります。前向きな進展が期待できるのです。

ところが現状は高等教育機関が科学者を一人前に育てる義務を負っているという認識も無ければその事実も皆無なので、責任の所在のありようもありません。記者会見は暖簾に腕押し。まるで小学校のホームルームで窓ガラスを割った子供の弁明のようなていたらくになってしまうのであります。

最後に、You Tubeか何かでちらりと見た程度の低いバラエティ番組で、日本の研究が世界から評価が下がる恐れがとか云々言ってましたがそんなこと絶対にないのでご心配なく。ウプサラで僕の周りにいる研究者をはじめ、まともな人は今回の騒動はもうサイエンスとしては未発見として決着のついたことで、あとのことは研究者の興味外と正当に理解していますから。残りはもはやお茶の間を適度に賑わわせるくらいのことでしょうか。そんな程度の低いことにサイエンスが持ち出されて、サイエンスが滞って本当に情けなく、申し訳なく思いますと記者会見で泣きながら言った小保方晴子さんの言葉、彼女の真心でしょうから、皆まともに聞いてあげてはどうかと思います。日本の世間は本当に失敗に厳しい。何のための厳しさなのか。その厳しさは生産的なのか。僕には全く理解できません。

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